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研究室ホームページを学生に作らせてはいけないし、学生は作ってはいけない
まず初めに、この文章はただの宣伝である。
もっともらしいことを書いているかもしれないが、ただの宣伝のために書いている。
廃墟のような研究室ホームページ
仕事柄、研究室ホームページをよく見ている。
世界で一番見ていると言ったらもちろん過言だ。
たまに廃墟のような研究室ホームページを見かける。
それに味わい深さを感じないこともない。
繰り返される背景画像
川のせせらぎの如く流れるマーキー
あなたは○○○人目の訪問者です!
久しぶりにキリ番踏んでBBSにカキコしたい気分だ。
しかしこの味わい深さを感じ取れるのは現在30代以降の人たちだろう。
イマドキの若者が見てもただのイケてないサイトだ。
そんなサイトを見ても研究室の魅力は伝わらない。
それは研究の魅力が伝わらないこととほとんど同義だ。
研究に魅力を感じる人がいなければ、研究業界は衰退してしまう。
いやそんなことはどうでもいい。
私は研究の魅力を伝えたい。
ただそれだけだ。
だから大学教員はTikTokで「きゅんです」をやるべきだ。
学生がホームページを作る
なぜ廃墟のようなホームページが残ってしまっているのだろうか。
それは恐らく当時の学生がテキトーに作っていたからだと睨んでいる。
たまに「研究室 ホームページ」というキーワードでTwitter検索をしている。
すると学生と思われる人物が研究室ホームページを作っているようなケースがよく見られる。
そのような文化は未だに残っているようだ。
それが完全に悪いことだとは思わないが、正直いろいろな観点からあまりよろしくないと思う。
今のWeb業界は20数年前とはわけが違う。
ホームページ作成は仕事である
Webの黎明期は混沌としていた。
ほとんどのホームページは趣味で作られていたのではないだろうか。
正直本当のところは分からないが、少なくともインターネットが普及するまでWeb制作会社というものは存在し得ない。
今はホームページを作ることが仕事になる。
試しに「ホームページ 作成 相場」と検索してみよう。
簡単なものでも5〜10万円程度、システムが入るものであれば数十万、下手したら数百万は掛かる。
仮に安く見積もって5万円で外注できるようなホームページを学生に作ってもらったとしよう。
5万円が浮いたなんて考えてはいけない。
その5万円は学生のタダ働きによって消えたのだ。
これは依頼する側の問題であると同時に引き受ける側の問題でもある。
その行為は本来お金が発生すべき「労働」なのだという認識を持つべきだ。
セキュリティは大丈夫か
もしかしたら勉強がてらホームページを作っている人もいるかもしれない。
確かに実際に案件を引き受けることは勉強になる。
とても素晴らしいことであることは間違いない。
しかし、本当にそれで良いのだろうか。
ホームページ制作の経験が浅いが故、セキュリティ対策が不十分かもしれない。
ページが改ざんされて、風評被害を受けるかもしれない。
それなら被害を受けるのは自分だからまだ良い。
閲覧者がフィッシングサイトに誘導され被害を受けるかもしれない。
そうなってしまったらもうあなただけの問題ではない。
未来のことは考えているのか
仮にセキュリティ対策がバッチリで、素晴らしいホームページが出来上がったとしよう。
作成者が卒業してしまったら誰が保守するのだろうか。
Webの進化は早い。
スマートフォンに対応していないサイトは多いし、HTTPS(暗号化通信)に対応していないサイトも多い。
Flashの残骸でまともに動作しないサイトすら見かける。
技術的な懸念もある。
フロントエンドはReact? Vue? Angular?
サーバーサイドはLaravel? Ruby on Rails?
5年後、10年後はどうなるか分からない。
ReactやLaravelが廃墟と化すかもしれない。
新しい技術は学習コストが掛かる。ちゃんと引き継げるのか?
勉強がてらホームページを作っている人は新しい技術に目が行きがちだ。
じゃあどうすれば良いのか
学生側は研究室のホームページ制作を引き受けるのであれば、「仕事」として受けるべきである。
見積もりを出して、仕事として正式に発注してもらおう。
そして保守契約を結ぼう。
勉強がてらボランティア精神で受けたい場合でもそうするべきだ。
そこにボランティアという名の犠牲なんて要らない。
その気持ち自体は素晴らしい。その気持ちがあるなら割引してあげれば良い。
請求書を発行したり、確定申告したり、面倒くさいかもしれない。
しかしそれも含めて勉強になる。
そこまで労力を掛けたくないのであれば、弊社のサービス「Labby」を検討してみてほしい。
廃墟のように残った研究室ホームページはもう御免だ。
これが研究業界の明るい未来に繋がると信じて作っている。
最後にもう一度言おう。
この文章はただの宣伝である。